予定通り、マスク→ワクチン→監視・管理社会へ。 例えコロナが危険だと仮定しても、それがワクチン接種と「プライバシーを守る権利・表現の自由・移動の自由」を交換する理由にはならない。 100人死ぬ程度なら許さない権力者による民衆への人権侵害を、100万人死ぬなら奪われても仕方がない? そんなわけはない。 人権手放したら、次に待ってるのはより強い支配。 支配は、税金や法律や移動制限、あらゆる自由に生きる権利を縛る形で存在し、それはこれまで民衆を助ける形で(本来あるべき姿として)は機能してきていない。 その支配の形に、新型コロナ(プロパガンダ)を機に、監視と管理が強まる。 政府の立ててる計画読めば、その必要性が分かる。(漢字読める人は内閣府HP読んでね) 点と点が繋がり線になる。 陰謀でもなんでもなく、彼らの公表してる計画の話をしてる。 予測が遅れ、対応や抗議の声が遅れれば、それは手遅れを意味する。 手遅れになれば、子供達は漏れなく監視社会で育つことになる。 ワクチン(とその副作用、数年後に出る医原病)からも逃れられない。 医原病とワクチンの相関関係を科学的に証明出来たとしても、それが公表された時の製薬会社の不利益は莫大なのだから、(認めるとでもおもってるのならば)彼らの誠実さなんてものを信じてるとしたら、それは与えられるものを鵜呑みにする怠惰な奴隷根性ではないかと。 真剣に責任持って自立して生きるなら、与えられる以上の情報を手に入れるべく努める必要がある。 分かりやすく不利益を誘いかねない情報は、そうだと分かる表現で大手メディアから公開されることはないのだから。 スポンサー様が居るのだ。
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